
後漢末期、腐敗した朝廷を尻目に涼州の豪族、董卓が鮮烈に登場します。
圧倒的な兵力と狡猾な策略で権力を掌握した董卓は、暴虐の限りを尽くし、民衆を苦しめます。
しかし、各地の群雄たちは董卓の横暴に耐えかね、反董卓連合を結成し、立ち向かいます。
王朝を揺るがす覇者の野望と、それを阻止しようと立ち上がる民衆たちの熱き戦いが、今、幕を開けます。
洛陽を我が物に、暴君董卓の台頭
董卓は涼州の豪族で、漢族だけでなく羌族や胡人と呼ばれる異民族の兵士たちも擁する強大な軍隊を率いていました。
獰猛な顔つきをした董卓は、洛陽に入城後、わずか三千の兵力でその威厳を誇示します。
董卓は、皇帝・劉弁に恐れられるほどの獰猛な風貌と軍事力を誇っていました。
彼は手始めに四、五日ごとに部隊の一部をこっそりと夜間に都の外へ移動させておいて、翌日の朝にあらためて堂々と都入りさせるという計略を用い、洛陽の人々に兵力が急増していると思わせ、多くの兵士が董卓に降伏することになりました。
さらに、都の治安を守る役職である丁原の配下である呂布を買収し、反乱を起こさせて丁原を殺害。
その部隊を掌握することで、兵力をさらに増強します。
横暴の限りを尽くす董卓、民衆の怒りを買う
その後、皇帝・劉弁を廃位し、劉協を新たな皇帝(献帝)として即位させました。
権力を手中にした董卓は、兵士たちを放任し、民家に押し入って略奪や暴行を働かせます。
皇族やその親族の家でさえも例外ではなく、根こそぎ財物を盗み出しました。
祭りのためににぎわっていた陽城県では、男たちを皆殺しにして首を車にくくりつけ、女たちを略奪するという残虐な行為を行います。
そして匪賊を攻撃して勝ったと偽り、捕らえてきた女たちを兵士たちに分け与えました。
このような暴政に耐えかねた各地の群雄たちは、反董卓同盟を結成し、協力して董卓を討とうと立ち上がります。
反董卓連合の結成と董卓の暴挙
董卓の暴政に耐えかねた各地の群雄たちは反董卓連合を結成し、袁紹を盟主として蜂起しました。
反董卓連合軍の勢力に不安を感じた董卓は、都を守りにくい洛陽から長安へと移します。そして、洛陽の富豪たちを処刑し、財産を没収。
さらに、歩兵や騎兵に命じて数百万人の住民を長安へと追いたてました。
多くの犠牲者が出るなか、董卓は呂布とともに洛陽にとどまり、宮殿、官僚の邸宅や民家などを焼き払い、洛陽を廃墟に変えてしまいます。
反董卓連合軍は一時的に優勢となるも、内部の確執や補給の問題から次第に瓦解していきました。
董卓の最期:呂布による裏切り
董卓は長安においても暴政を続けましたが、最終的に腹心の呂布に裏切られ、192年に暗殺されました。
その死後、董卓の暴政の痕跡は長く人々の記憶に刻まれることとなりました。
まとめ
董卓の物語は、権力の掌握からその絶頂、そして急激な転落までを描いた壮大なドラマです。
彼の暴虐非道な行為は、多くの人々に恐怖と苦しみを与えましたが、その背景には複雑な政治的状況と人間関係があったことも見逃せません。
歴史の中で最も忌み嫌われた暴君の一人として、董卓の名は今もなお語り継がれています。
そして、董卓の横暴と反董卓連合の戦いは、後漢末期の戦乱の幕開けを告げる重要な事件となりました。