孫権【仲謀】

孫権の晩年と呉の衰退─英雄の栄枯盛衰と人間の弱さ─




かつて栄華を誇った呉の歴史には、英雄的な存在である孫権の姿が輝きます。

彼は巧みな政治力と知略を兼ね備え、呉の興隆に尽力しました。

しかし、時が経ち孫権は晩年には暗い影を背負う存在となりました。

この物語は、私たちに人間の限界や歴史の無常さを考えさせると同時に、栄光と挫折が交錯する人間の姿を描き出しています。

本書では、孫権の晩年と呉の衰退の舞台裏に迫り、そのドラマティックな物語を紐解いていきます。

政治的な巧みさと戦略的判断力

赤壁の戦いの後、曹操は孫権の軍が驚くべきまでに整然としており、少しも乱れていない様子を見て、「もしも私に息子がいたなら、孫仲謀(孫権)のようになってくれたらいいのに」とため息をついたと伝えられています。

同様に、孫権の兄である孫策も死の直前に孫権に向かって言葉をかけ、「天下を分けるような大戦が起きるならば、私の方が優れているであろう。しかし、賢臣を使い江東を守るという場合には、そなたの方が優れている」と語り、最後の使命を託しました。そして、孫権はその言葉通りに政治手腕を発揮しました。

孫権はまず劉備と同盟関係を結ぶことで、赤壁の戦いで曹操に対抗しました。

しかし、後に劉備に荊州を奪われてしまうと、孫権は曹操に臣下の礼を示し、曹操が強大な力を持つようになると再び劉備と同盟を結びました。

孫権は政治的な才覚と柔軟性を持ち合わせ、絶妙なバランス感覚を持っていたのではないでしょうか。

孫権は一時的な挫折や劣勢に直面しながらも、最終的には三国時代の勢力均衡を保つ一翼を担うことに成功しました。

神秘の瑞祥と孫権の帝位即位

呉の歴史において、229年4月に夏口と武昌で黄龍鳳凰が出現したという逸話が伝えられています。この出来事は、呉の群臣や民衆にとっては大変神秘的で重要な出来事とされました。

黄龍とは、中国の伝説に登場する瑞祥の象徴であり、帝王の吉兆とされています。また、鳳凰は不死や繁栄の象徴とされ、中国の神話や文化において非常に重要な存在です。

夏口と武昌は、呉の領土内に位置する重要な都市であり、ここで黄龍と鳳凰が同時に現れたという報告が寄せられたことは、呉の人々に大きな感銘を与えました。

この出来事を目の当たりにした群臣や民衆は、それを神の意思と解釈し、呉が天命によって漢室の血統を受け継ぐべきであると信じるようになりました。

そのため、群臣たちは孫権に対して帝位に即くように要請しました。彼らはこの神秘的な瑞祥を根拠として、孫権が天命を受けた存在であると信じ、呉を新たな王朝と位置づけることを望んだのです。

孫権もまた、その群臣や民衆の意を汲み取り、呉の初代皇帝に即位しました。

不老不死の仙薬を求めて

晩年、彼が興味を示したのは、東の海に浮かぶ島である夷州(台湾)と亶州(日本列島または沖縄)とされる地域です。

伝説によれば、夷州や亶州には「不老不死の仙薬」が存在するとされており、これに惹かれた孫権は捜索を試みました。

孫権は諸葛直と衛温という将軍に、武装兵1万を率いさせて夷州や亶州を捜索させました。

陸遜など他の将軍たちが反対したにもかかわらず、孫権は彼らの声に耳を貸さずに捜索を進めました。

しかし、諸葛直と衛温は夷州から数千人の住民を連れ帰ってきただけで、亶州には到達できませんでした。

孫権はこの結果に激怒し、諸葛直と衛温を獄に入れ、処刑してしまいました。

彼らが期待に応えられなかったことに孫権は失望し、怒りを抱いたためといわれています。

晩年の家督争いと呉の衰退

孫権は晩年を迎え、酒に溺れる日々が続きました。

かつての英雄的な輝きは次第に薄れ、その精彩を欠く存在となってしまったのです。

特に、家督争いによる失策が呉の未来に大きな影を投げかけました。

241年、皇太子である孫登が若くして病死しました。

孫権は次の皇太子に孫和を指名しましたが、同時に孫登の弟である孫覇を魯王とし、ふたりを同等に扱う決定を下しました。

孫権は個人的な感情から孫覇を特に可愛がり、これが孫和と孫覇の支持者たちの間に対立を引き起こすことになりました。

この家督争いは「二宮の変」として知られ、呉の運命に大きな転機をもたらすことになりました。

それ以降の後継者も家督争いと暴虐を繰り返し、呉の内部は分裂し、勢力は次第に衰えていきました。

孫権は71歳の天寿を全うしましたが、彼の死後、30年が経過した時、ついに呉は滅亡することになりました。

孫権の晩年の失策や衰弱した統治力が、呉の存続を揺るがす要因となったと考えられています。

まとめ

孫権は一時は呉の栄光を築き上げ、その英雄的な存在は称賛されていました。

しかし、晩年になると彼もまた人間の弱さに苦しむようになりました。

酒に溺れ、失策を犯し、私情に流されるなど、かつての輝きは失われていきました。

そして、孫権の死を経て滅亡へと向かう呉の運命は、栄光と共に終わりを告げる悲劇として刻まれました。

かつて栄華を誇った呉が、その栄枯盛衰の過程で人間の弱さや歴史の無常さに翻弄され、最終的には滅びに至ったのです。

この物語は、呉の栄光と衰退を通じて、人間の営みや歴史の不可逆性を教えてくれます。

英雄的な存在であった孫権の晩年の悲劇的な姿は、我々にとって警鐘となり、栄光と挫折が絡み合う人間の物語を描き出しているのではないでしょうか。

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