
古代中国の戦乱の時代、英雄豪傑が交錯する中、魯粛の姿は確固たる存在感を放っていた。
彼の勇気と知略は、孫権の覇業を支え、歴史にその名を刻むこととなる。
本稿では、魯粛の巧みな策略と孫権の勇気ある決断に焦点を当て、彼らの物語を紐解く。
侠気あふれる豪農の志
魯粛、字を子敬というその人物は、富裕な家に生まれ、困っている者を惜しみなく助け、その侠気あふれる姿は多くの人々に慕われた。
彼は孫権の信頼厚い謀臣として、江東の未来を担う存在であった。
孫権の兄、孫策の親友であり、江東進出に尽力した周瑜将軍が魯粛に経済的な支援を求めると、三千斛入りの倉をまるごと提供しました。
その後、魯粛は周瑜の推挙で、知謀の士として呉の孫権に仕えました。
孫権の決断を揺るがした魯粛の抗戦論
曹操が南下政策を展開し、孫権に降伏を迫る挑戦状を送ってきた。
孫権は群臣たちと対応策を協議したところ、大勢は降伏に傾いた。
理由は、曹操が勅命を奉じているため、逆賊の汚名を着ることになること、曹操が荊州水軍を手に入れたため、水陸両道から侵攻される可能性があることである。
しかし、謀臣の魯粛は降伏論には反対であった。
曹操に帰順したとしても、名門ではない孫権は、江南の地を奪われて身を寄せる場所を失うことになる。
魯粛は孫権に、降伏論に惑わされずに一刻も早く曹操を迎え撃つ決断をするよう進言した。
孫権は魯粛の進言に心を動かされ、降伏論を退けて開戦を決意した。
魯粛は開戦論を強化するために、孫権の信頼の厚い周瑜を任地から急ぎ召還するよう勧めた。
孫権も周瑜の召還に異存はなかった。
魯粛の抗戦論は、孫権の決意を固め、赤壁の戦いにつながる重要な役割を果たした。
魯粛は、孫権の覇業を支えた知謀の士として後世でも語られています!!
現実的な覇権主義の構想
あるとき魯粛は孫権にこう説きました。
「漢王朝の復興はもはや望めない。しかし、中原に拠点を置く曹操の勢力を早急に排除することもできない。であれば、この江東の地をしっかりと安定した根拠地とし、長江全域を支配下に収めた上で、雄飛する機会を伺い、孫権自ら帝王を名乗り、天下を掌握されるべきです。」
ここでは、漢室を補佐する覇業の樹立という構想は否定されています。
建前上の覇業など歯牙にもかけない世代の、現実的で思い切りのよい覇権主義が正面から押し出されていました。
その後、孫権は魯粛の説いた現実的な覇権主義を取り込み、長江全域を制圧し、やがて自ら呉の皇帝となる道を歩むことになります。
まとめ
魯粛は、周瑜と共に孫権の覇業を支え、その先見性と行動力は後世に称えられています。
彼の生涯は、友情、忠義、そして大義のために立ち向かう勇気に溢れており、彼の功績は中国の歴史に深く刻まれています!!