
甘寧(字:興覇)は、三国時代の孫権に仕えた猛将として知られています。
彼の生涯は、波乱万丈でありながらも、その勇猛さと義理堅さで多くの人々の心を捉えました。
今回は、そんな甘寧の魅力に迫ってみましょう。
若き日の「錦帆賊」
甘寧は、若い頃から腕っぷしが強く、地元の不良たちを束ねていました。
人を脅して金品を奪ったり、時には殺人も犯したと言われています。
彼らは常に鈴を身につけていたので、人々は鈴の音を聞いただけで甘寧たちが来たと分かったそうです。
鈴の音は、人々にとって恐怖の足音でした。
そんな甘寧も、20歳を過ぎてからは心を入れ替え、学問にも触れるようになりました。
転々とした仕官の道
その後、甘寧は劉表の配下となりましたが、劉表が軍事を軽視していたため、彼の下を離れ、江夏の黄祖に仕えました。
しかし、黄祖も甘寧を重用しなかったため、彼は不満を募らせ、友人の蘇飛の助けを借りて江夏を脱出しました。
その後、周瑜や呂蒙の推薦を受け、孫権に仕えることとなりました。
黄祖を討て!呉の勢力拡大への第一歩
孫権が呉の支配を強めていく中で、長江中流の強敵として立ちはだかっていたのが黄祖だった。
黄祖は荊州の劉表の部下であり、長江の要所を押さえる実力者である。この黄祖を討たなければ、呉の勢力はこれ以上拡大できない。
甘寧は孫権に進言した。
「黄祖を討ち、長江の支配権を確立すべきです。」
孫権は甘寧の言葉に納得し、大軍を率いて黄祖討伐に乗り出す。戦場となったのは夏口。
そこでは、黄祖軍が万全の防御態勢を敷いて呉軍を迎え撃っていた。
黄祖は二隻の巨大戦艦「蒙衝」を並べ、それを城塞のように固定し、夏口の水路を封鎖していた。
その上には千人もの弩(大型の弓)兵を配置し、呉軍が接近すれば矢の雨を降らせる構えだ。
さらに、長い縄に巨大な石を結び、それを川に沈めることで船を固定。いわば「水上の要塞」として、呉軍の侵攻を阻む策を取ったのである。
孫権軍はこれに苦戦した。黄祖の巧妙な布陣を前に、いくら進撃しようとしても矢を浴びて前に進めない。戦局は膠着状態に陥った。
打開策として、孫権は董襲と凌統を先鋒に据え、それぞれ百人の精鋭を率いて黄祖の艦隊に突撃させることを決断する。
この決死隊は、重ね着した鎧で身を固め、大型船に乗り込むと、まっすぐ黄祖軍の蒙衝へと突っ込んでいった。
激しい矢の嵐をくぐり抜け、彼らは敵船へと飛び移る。そして、董襲が縄を断ち切ると、蒙衝はバランスを失い、黄祖軍の防御陣形は崩壊した。
黄祖の命運は尽きた。彼は戦場で討ち取られ、呉軍は見事に勝利を収めたのである。
黄祖が敗れたことで、孫権はすでに次の一手を考えていた。
彼は黄祖の部下・蘇飛の首も討ち取るつもりで、すでにそれを収めるための箱まで用意していた。
しかし、その話を聞いた甘寧は、すぐに孫権の元へと駆けつけた。
「殿!蘇飛の命をお助けください!」
かつて甘寧が江夏を脱出したとき、命の危険を冒して彼を救ってくれたのが蘇飛だった。甘寧にとって蘇飛は、ただの敵将ではなく、恩人だったのだ。
孫権は渋った。すでに戦は終わり、敵将は処断される運命にある。だが、甘寧はここで驚くべき言葉を口にする。
「もし蘇飛が逃げたら、代わりに私の首を箱に入れてください!」
甘寧の真剣な覚悟を前に、孫権は考えを改める。そして、ついに蘇飛の命を助けることを決めた。
甘寧は戦場で勇猛に戦うだけではなく、義を重んじる男だった。
かつての恩を忘れず、命を懸けてまで人を救おうとする彼の姿は、戦国の世においてもひときわ異彩を放っていた。
乱世の荒くれ者から呉の英雄へ
208年、赤壁の戦いで曹操軍を打ち破った後、周瑜率いる呉軍は南郡の曹仁と対峙しました。
このとき、甘寧は夷陵を先に奪取すべきだと提案し、周瑜はこれを採用。
甘寧は数百人の兵を率いて夷陵を攻略しました。しかし、曹仁は直ちに5000人以上の兵を派遣し、夷陵を包囲したが、甘寧は僅かな兵力で数日間耐え抜いた。
214年、曹操の拠点である皖城を攻撃する際、呂蒙は甘寧を升城督(攻城隊長)に任命しました。
甘寧は精鋭部隊を率いて夜明けとともに猛攻を開始し、自ら城壁をよじ登って先陣を切りました。
この勇猛さにより、皖城は陥落し、守将の朱光を捕らえることに成功しました。
建安二十年(215年)、曹操率いる大軍が濡須口に迫り、孫権軍は圧倒的な兵力差に直面していました。
この危機的状況の中、孫権は勇将・甘寧に希望を託します。
彼に与えられた任務は、精鋭部隊を率いて敵陣への夜襲を敢行し、曹操軍の士気を挫くことでした。
甘寧は選りすぐりの100名を集め、自ら酒と食事を振る舞い、士気を高めます。
しかし、部下たちは命を懸けた任務に不安を隠せません。
そんな彼らに対し、甘寧は刀を抜き放ち、「私が命を惜しまないのに、なぜお前たちは怯むのか!」と叱咤し、覚悟を促しました。
深夜、甘寧率いる決死隊は、敵に気付かれぬよう「銜枚」と呼ばれる木片を口にくわえ、足音を殺して曹操軍の陣営に忍び寄ります。
闇夜の静寂を切り裂くように、彼らは一斉に攻撃を開始。
不意を突かれた曹操軍は大混乱に陥り、多くの兵士が命を落としました。甘寧たちは数十の首級を挙げ、無事に帰還を果たします。
この見事な奇襲により、曹操軍の勢いは大きく削がれました。
孫権は甘寧の功績を高く評価し、「曹操には張遼がいるが、私には甘寧がいる。ちょうど釣り合っているのだ」と喜び、彼に2000人の兵を加増しました。
まとめ
甘寧は粗暴で人を殺めることもありましたが、開けっぴろげな性格で先見の明があり、物惜しみせず人を礼遇し、兵を養い育てたため、部下から慕われました。
彼の勇猛さと人間味あふれる行動は、三国志の中でもひときわ輝くエピソードとして、後世に語り継がれています。